宇和島市のさくら住宅を1時に出発して、やすらぎの里のてんやわんや市に寄り、そこから岩松に行ったら、もう散策はじまってました。
ちょうど出発したての兵頭会長の班に混ぜてもらって、子供たちと一緒にそぞろ歩き。新橋で海と川が分けられてるのが、不思議そうでした(笑)奥様は、植物がもう花開いていることや、仙台では外に出すと寒さで枯れてしまうような植物がふっつーにわっさわっさ生えてるのにびっくりされてました。やっぱり暖かいんですね~。
ひな回廊のために飾られていた雛人形を見て、カメラ撮影の図。さくら住宅にも石崎さんちの雛人形があるのですが、今後、石崎さんちのお宅、毛利家、伊達博物館と、行く先々でお雛さまがある予定なので、なお驚かれるのではないかと・・・(笑)。
岩松の職人さんは、腕自慢したがるという話を、要所要所でお話していたのですが、ことさら、瓦の技巧の細やかさには驚かれたみたいです。よくわかんないオキツネさまみたいなものや、これみたいに、生き物がうようよいるあたりは、自分が見てると、ごてごてしてるなぁ・・・と思うのですが、素直に感心していただきました。
岩松は、長屋が多くて、家と家の間が狭いので、路地がたくさん。せっかくなので、路地を歩いてもらいました。こんな南の果てに来て、こんな路地歩かされるとは思ってなかったのではないかと・・・(笑)
桜さく岩松の風景とともに、よみがえる記憶!!
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小一時間散策して、最後にみんなでふりかえりです。少しお時間をいただいて、松葉さんのご紹介をさせていただくことに。「みんな宇和島のお殿様誰か知ってますか~?」と聞くと、元気に「伊達政宗!」との声が・・・。うーん、惜しい。でも思う壺なお答えをありがとー。松葉さんは、宇和島初代藩主秀宗公のお父さん「政宗公」が眠る瑞鳳殿のボランティアガイドをされていて、ちゃんと格好いい制服を見せてくれました。政宗公の陣羽織のデザインと同じなんだそうです。さすが伊達モノですなぁ!
岩松の子供たちの利発さほほめていただき、また、町並み保存の活動についても、嬉しい言葉をたくさんいただきました。みんな仙台に行ったら、松葉さんに案内してもらうんだぞー!
ブログ「シオカラトンボ」
終了後、内山しょうゆどこで、雑談。ここで衝撃の事実発覚!内山醤油店の内山さん、宇和島藩の御殿医富沢礼中の血筋なんだそうですよ!!
終了後、内山しょうゆどこで、雑談。ここで衝撃の事実発覚!内山醤油店の内山さん、宇和島藩の御殿医富沢礼中の血筋なんだそうですよ!!
富沢礼中よりは、孫の赤黄男(俳人)の方が有名みたいですが、礼中は、宇和島に高野長英を匿うため尽力し、城下で天然痘が流行した際に、種痘を行い、今でもその道を目指す医学生が宇和島を訪れることもあるという隠れた有名人!
ちなみに、当時の人々は、怖がって誰も種痘を受けようとしなかったらしいのですが、ときの城主、幕末4賢候として名高い宗城公が、自分の娘の正姫に打たせて、安全性を確認さしたんですらい。
うわー、びっくりしたぁ。内山さんって、お坊ちゃんだったんだなぁ。
ちなみに、当時の人々は、怖がって誰も種痘を受けようとしなかったらしいのですが、ときの城主、幕末4賢候として名高い宗城公が、自分の娘の正姫に打たせて、安全性を確認さしたんですらい。
うわー、びっくりしたぁ。内山さんって、お坊ちゃんだったんだなぁ。
そして、この話には、岩松らしいオチがついてたんですが、それはまたの機会に(笑)
この後、祓川温泉にお連れして、かけ流しの温泉を満喫していただきました。
ちなみに、自分は、その足で、上の誰も知らない公衆トイレのチェックに。
嗚呼。やっぱりなんでかしらないけど、いっぱいになってます。chuさん汲み取りが必要です・・・。
しまった。さくらと関係ないや。
帰宅途中で、某マスコミさんから連絡がありまして、宇和島について初めてのインタビューを松葉さんに答えてもらいました。番組にするかどうかは後日検討とのことで、決まったらお知らせしますね。
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